大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 昭和61年(む)176号 決定

主文

本件準抗告の申立てを棄却する。

理由

一  申立の趣旨及び理由

(申立の趣旨)

西山正彦外四名に対する文化財保護法違反被疑事件に関し、昭和六一年一二月一九日、京都地方検察庁検察官が京都府(教育委員会教育長)に対し、別紙目録記載の物件を還付した処分を取消せ。

(申立の理由)

申立人代理人弁護士吉田克弘提出の準抗告申立書記載のとおりであるからこれを引用するが、その骨子は、別紙目録記載の物件(以下本件梵鐘という)は、申立人株式会社三協西山(代表取締役西山正彦)が昭和六〇年五月七日前所有者である宗教法人大雲寺から買い取って所有し、相国寺内承天閣美術館に保管占有していたところ、西山正彦外四名に対する文化財保護法違反被疑事件に関する強制捜査として京都府下鴨署司法警察員はこれを右美術館より押収したのち文化財保護法に基き文化庁長官から本件梵鐘の管理団体に指定された京都府(教育委員会教育長)に仮還付し、その後右被疑事件の送致を受けた京都地方検察庁検察官は右事件を起訴猶予処分に付したうえ本件梵鐘は仮還付先である京都府(教育委員会教育長)にそのまま還付する処分を行なったが、押収物の還付は本来被押収者に限られるべきであり、本件の場合前記承天閣美術館ないし申立人に還付されなければならないのに、これに反し検察官独自の判断でもともとは占有権限がなかった京都府に対して本件梵鐘を還付した処分は違法不当であるというものである。

二  事実関係

一件記録に基き、本件梵鐘の押収から還付に至るまでの経過ならびに関連する諸状況をみるのに、次のような事実関係が認められる。

すなわち、

本件梵鐘は、文化財保護法による指定を受けた国宝であり、文化庁に届出られている現所有者は宗教法人大雲寺であって、その代表的寺宝として長く同寺の鐘楼に吊られて保存されていたが、昭和五七年一月一六日同鐘楼の補修名目で本件梵鐘につき文化財保護法上の所在場所の変更届がなされ、大雲寺の本寺に当る隣接の実相院に移転され、以後同院内中庭に保管展示されていた。

ところが、昭和六〇一〇月に入り本件梵鐘が右実相院内に所在しないことが知れて国宝の行方不明事件として新聞紙上等で騒がれるようになり、京都府教育庁等において調査の結果、同月三一日これが相国寺内承天閣美術館(館長有馬頼底)に保管されていることが判明した。

右のように、本件梵鐘が長期間所在不明になっていた事情については暫く関係者からも真相が明らかにされず、またその間文化財保護法上の所有者ならびに所在の変更届も行なわれなかったため、同年一一月二七日、右は同法一〇七条所定の重要文化財隠匿罪に該当するものとして市民有志からの告発がなされ、これを端緒に捜査機関による捜査が開始された。

続いて文化庁長官は、同月二九日、本件梵鐘の保管に関し、所有者が明らかでなく又所有者若しくは管理責任者による管理が著しく困難若しくは不適当な場合として、文化財保護法三二条の二・一項の規定により京都府を本件梵鐘の管理団体に指定し、翌三〇日官報にその旨告示した。

同年一二月二日、右被疑事件の捜査を担当する京都府下鴨署の司法警察員は、前記承天閣美術館において右被疑事件の証拠物件として同美術館館長有馬頼底より本件梵鐘を差押え、同日これを管理団体である京都府(教育委員会教育長)に仮還付し、以後府立資料館において保管されることになった。

その後の捜査の結果では、本件梵鐘の所有名義人である大雲寺は、その代表役員が中西〓淳、中西淳、畠山忍、酒井敬淳と順次交代して現在に至っているが、右中西淳の在任中であった昭和五九年六月ころ、同寺が抱える多額の負債を整理するためとして同寺が建っていた京都市左京区岩倉上蔵町三〇三番地の境内土地が株式会社日本コーデイネイト(代表取締役畠山忍)に売却され、翌六〇年七月には同寺の建物(本件梵鐘の鐘楼を含め)は全て取り壊され、跡地は更に第三者に転売されていること、右畠山は、同年四月二五日自ら大雲寺の代表役員に就任し、翌五月一〇日には早くも辞任して現役員の酒井敬淳と交代しているが、その間に大雲寺の寺宝(本件梵鐘を除く)一切が他に搬出され、大雲寺再建のための代替地としてその隣地(株式会社コーデイネイト所有)を購入させ、右代表役員の交代に際しては大雲寺の財産となる寺宝は一一面観世音菩薩一体のみで他は引き継がない旨の念書を右酒井との間に交わしていること、本件梵鐘は、蓮華寺副住職安井攸〓、不動産業者今井邦雄(株式会社日本コーデイネイト関係者)、申立人株式会社三協西山社員岡本克己らが関与して、同年一〇月一日従前の保管場所であった実相院から搬出されて広隆寺旧霊宝殿に預けられ、その後本件梵鐘が行方不明と騒がれるようになってから、同月二六日蓮華寺に移され、更に同月三一日相国寺内承天閣美術館に移転されたうえその所在が公表され、京都府教育庁係官もこれを現認したこと等が明らかになった。その一方、西山正彦は、本件梵鐘は、同人が代表取締役をしている申立人株式会社三協西山が大雲寺の他の寺宝類一切とともに譲り受けて所有するものであると主張し、その所在を転々させた理由については、前記安井において、実相院における本件梵鐘の管理状態がよくなかったため国宝である重要文化財の散逸防止の目的で行なったものであると説明するのであるが、昭和六一年一月一六日までの段階においては、申立人が本件梵鐘の所有権を法律上正当に取得したことを裏付けるに足る関係者らの共通した供述はなく、またそれを根拠づけるべき売買契約書等の証憑書類も当事者から任意に提出されないばかりか右同日申立人会社を捜索した結果でもそれら書類は発見されなかったところ、国宝である本件梵鐘の所有者及び所在場所の変更には文化財保護法に届出義務が定められているにもかかわらず関係人からそれら所定の手続が全く履践されていなかった。

しかるに、その二日後である同月一八日、西山正彦は、検察官の取調べに際し、申立人が大雲寺に対して金一億円を弁済期日昭和六〇年五月二二日と定めて貸渡し、期日に返済しないときの担保として本件梵鐘を含む大雲寺の寺宝、什器類の所有権を申立人に譲渡する旨の同月七日付譲渡担保付金銭消費貸借契約証書写及び同日付一億円の領収書写を提出したうえ、その取調日付の検面調書中で、本件梵鐘は右契約に基き申立人が買い取りその所有権を取得した旨供述するとともに右契約書作成の経緯等について、右契約書の作成日付は昭和六〇年五月七日になっているが実際の作成日はその数日後であり、同日付一億円の領収書もその日現実に金銭の授受がなされたものでなくて、西山が大雲寺の土地処分のからみで株式会社日本コーデイネイトの社長畠山忍から融資を頼まれ、これに応じて同社に対して半年位前から数回に分けて合計約二億円を貸付け、そのうち一億円は回収したものの、残債一億円が未済であったため、当時大雲寺の代表役員になっていた右畠山からその担保として本件梵鐘を含む大雲寺の動産類を申立人が取得したものであること等を述べている。

本件梵鐘に関する文化財保護法違反被疑事件(被疑者今井邦雄、岡本克己、西山正彦、安井攸〓、清瀧智弘)の送致を司法警察員から受けた京都地方検察庁検察官は、捜査の結果昭和六一年一二月一九日右被疑者五名を不起訴処分にするとともに、既に文化財保護法に基く管理団体に指定されている京都府に仮還付されていた本件梵鐘につき、その所有者を称する申立人(代表取締役西山正彦)もしくは右西山から本件梵鐘を預かったという被押収者の承天閣美術館館長有馬頼底に還付することなく、これを仮還付のまま京都府に本還付した。

三  当裁判所の判断

以上の事実関係に基いて本件還付処分の適否を案ずるに、捜査機関による押収物の還付処分は、刑訴法二二二条により準用される同法一二三条及び一二四条に根拠を置くものであって、捜査機関が当該被疑事件の証拠物として第三者からいったん押収したものを、その捜査の終結により、もしくは捜査途中であってもそのものが証拠としての価値がないとかもはや証拠として用いる見込みがなくなった場合などに、刑事手続としての強制処分である差押を解放して原状に回復する措置とみるべきものであるから、まずは押収物は被押収者に対して還付すべきであって、捜査機関の適宜の裁量判断でその還付先を変更することで従前の権利関係に変動をもたらすような処分は原則として行なってはならないところである。

しかしながら、その還付先は常に被押収者に限るとする所論の主張については、押収物が賍物であるときに被害者に還付すべき場合を規定している刑訴法一二四条一項に既にその明らかな例外がみられるほか、同法一二三条二項においては、押収物は所有者、所持者、保管者又は差出人の請求により仮にこれを還付することができる旨定めているが、その趣意は、仮の措置とはいえその還付先は必ずしも被押収者に限られず、仮還付の請求者が所有権や占有権に基き押収物の支配管理を行う権限を有し、かつ利害の均衡上他の者に優先させてそのものを返還して利用させてもよい合理的妥当性が認められる場合には、被押収者でない請求者に対してもその押収物を仮還付することができるとしたものと解されるところ、これが本還付処分については右仮還付処分のときと別異に扱って被押収者以外の者に絶対還付することはできないとする理は見出せないのであって、被押収者以外にもその押収物について支配管理の権限を有する者があり、かつ、両者の利害を総合的に彼此衡量したとき後者に押収物の占有を得させた方が明らかにその物に関する法益の保護にかなうとみられるような特段の事由が存在する場合には、例外的に被押収者以外の権利者に本還付処分を行なうことも許されるというべきである。

(なお、捜査機関による右のような還付先の選択は、刑事手続上の事実上の措置であって、それによって押収物についての実体上の権利を確定したり変動を加えたりするものでないことはいうまでもない。)

本件についてこれをみるのに、前記認定の事実関係によれば、まず、本件梵鐘の所有者が申立人株式会社三協西山であるとの主張は、これに沿う譲渡担保付金銭消費貸借契約書写の存在及び各関係者の供述内容等から一概にこれを否定することはできないにしても、なお、右契約書に記載されている契約内容が正しく事実に符合せず、その作成日付にもそごがあることを申立人代表者である西山正彦自身が認めていること、その述べるところによれば、契約日とされる昭和六〇年五月七日に大雲寺に貸与したとされる金一億円は現実には株式会社日本コーデイネイトの社長畠山忍にそれまで融資した分の残債分というのであるが、それが大雲寺自身の債務に切り替えられた経緯は分明でないこと、右契約書が実際に作成されたという五月七日の数日後という日は右畠山が大雲寺の代表役員を退いた日(五月一〇日)以後に当りそうであるが、国宝である本件梵鐘を含む大雲寺の動産類一切を処分するといった重大な契約を締結するに際し右畠山に大雲寺を正当に代表する権限があったのか疑念が残らないでもないこと、本件梵鐘の所有者及び所在場所の変更について文化財保護法所定の届出がなされなかったことは前記のとおりであるが、更に、これが国宝紛失と巷間に騒がれ更に刑事事件に発展して西山正彦自身が被疑者として取調べられる事態にまで至りながら、同人は本件梵鐘を大雲寺から買い取ったと主張するのみで手許にあるのなら当然早期に明らかにされてよい前記契約書の類いを昭和六一年一月一八日の検察官の取調べ時まで提出しなかったことの理由が判然としないこと、大雲寺の代表役員の変遷振りやその経理状態及び土地処分をめぐる諸状況等をみると、本件梵鐘を含む大雲寺の動産類の処分は、もともとは大雲寺境内土地の売却、明渡しをめぐって派生的に生じた問題で、最終的には大雲寺の現代表役員である酒井敬淳に前任役員畠山から大雲寺の財産となる寺宝は一一面観世音菩薩一体のみであることを確認させて地位の承継を行なうことによって大雲寺側から本件梵鐘を含むその他の寺宝類に対する権利主張の道を閉ざしたうえ遡及的に前記譲渡担保付金銭消費貸借契約を作出した可能性も否定できないところで、前記畠山の処分権限もからんでその法律関係の実態についてはいまだ十分解明されていないことなどに徴すれば、一件記録に基く限り申立人が実体上本件梵鐘の正当な所有者であることを確定的に認定することはできず、したがって、申立人に代って本件梵鐘を保管していたという被押収者の占有権限も必ずしも明確なものではない。

一方、前記のとおり、本件梵鐘の保管に関しては、昭和六〇年一一月二九日、文化庁長官において文化財保護法三二条の二の規定に基いて京都府をその管理団体に指定し、同年一二月二日司法警察員が文化財保護法違反(隠匿事犯)被疑事件の証拠物件として被押収者から押収した本件梵鐘を同日京都府に仮還付し、以後府立資料館に保管させていたが、記録上窺えるその当時における事実関係を前提にすれば、文化庁長官が本件梵鐘の所有者が判明しない場合として京都府をその管理団体に指定し、また、本件梵鐘を証拠物件として押収した司法警察員が右の行政処分の結果管理権限を持つに至った京都府に対してこれを仮還付して保管させることにした各処分に直ちに違法と咎めるような瑕疵があるとは思われない。

もっとも、右仮還付は、捜査機関の押収の効力は維持しつつ一時的に被還付者に押収物の占有を得させるもので将来にわたって終局的にその占有権限を確定したわけではないから、のちに右押収物についての本還付処分を行なう場合にはその時点において改めて誰に対して還付するのが相当か検討しなければならないのは当然であるところ、文化財保護法三二条の二・一項に基き重要文化財について管理団体を指定しようとする場合、その所有者が明らかであったり権限に基く占有者があるときにはあらかじめそれらの者の同意を必要とし(同二項)、また、管理団体の指定の要件とされる事由が消滅した場合などには管理団体の指定を解除することができる(同法三二条の三)ことになっている法意にも照らせば、のちにその押収物の本還付を行なうに際しては、右の観点も踏まえてその後に事情の変更があればそれも参酌したうえ適切な処分をなすべきものである。

しかしながら、本件の場合、前記文化財保護法違反被疑事件が司法警察員から検察官に送致され、昭和六一年一二月一九日、不起訴の終局処分がなされた段階でも、申立人が本件梵鐘の所有者であるという点については、前記説示のとおり、その可能性は否定できないまでも、その所有権取得の経過は複雑で必ずしも法律関係が明らかにされているとはいえない一方、国宝にも指定されている重要文化財である本件梵鐘の新所有者というのであれば当然果たすべき文化財保護法に定められている所有者及び所在場所の変更届も長期にわたって行なわず、昭和六〇年一〇月一日にはその保存管理上の必要性が判然としないままこれを他に移転して所在を不分明にし、そのことが国宝の行方不明事件と騒がれるようになってからも直ちには所在を公表しないで約一カ月間これを世間の目から事実上隠していた(文化財隠匿罪の成否は別として)ことなどに徴すると、それらが新所有者として正当な権利移転があったことを主張するのにマイナスの状況であることもともかく、右のような申立人ならびに本件梵鐘の処分に関与した関係者らの態度からすると、本件梵鐘が再び申立人らの管理下に戻された場合、果して本件梵鐘が文化財保護法にも定められている各種の制約を遵守し、国宝たる重要文化財にふさわしい保存管理が行なわれるかどうかに懸念が残るものというべく、これに併せて、本件梵鐘の処分が、大雲寺の極端な財政的窮迫状態を打開するため同寺の存続の基礎になる寺院の境内土地を全て売却するとともに同寺の象徴的寺宝である国宝さえも文化財保護法の定めを無視していわば借金のかたに流してしまおうとしたものであることの背景事情も参酌すると、本件梵鐘がむしろその財産価値に重きを置かれて不当に他に転売されるなどして流出、散逸するおそれさえ心配されるところである。

(ちなみに、同法四六条においては、重要文化財を他に有償で譲り渡そうとするときには、まず国に対して売渡しの申出をしなければならないのであって、申立人が本件梵鐘を譲渡担保形式で買い受けて所有権を取得したというのがその主張どおりの経過だとすれば、それは右国の先買権を無視した違法な取引といわざるを得ない。)

そして、以上の諸事情を総合すると、前記被疑事件を不起訴処分に付した検察官が、刑事手続上の終局処分を行なうに当って申立人が本件梵鐘の新所有者であることを一概に否定することができないものと結論したとしても、それは決して実体上の権利を積極的に認定したものとは解せられず、先に文化庁長官が本件梵鐘の所有者が判明しない場合として京都府をその管理団体に指定した処分が存続している現況の下で、なお所有権の帰属ないし正当な占有権の存否は今後の解明課題として残されているものといえるのであって、その場合、かけがえのない国の文化的遺産を保護するため、直ぐにでは適切な保存管理に不安が残る被押収者もしくは所有者と主張する申立人に還付することを避け、文化財保護法に基いて適法な管理権限を与えられた管理団体で、現に本件梵鐘の仮還付を受け疎漏のない方法で管理を続けている京都府を還付先に選択することは明らかに本件梵鐘に関する法益の保護にかなうものと考えられ、これはまさに押収物を被押収者以外の権利者に還付すべき特段の事由が存在する場合に該当するものというべく、前記検察官の還付処分に違法な点はない。

(もちろん、右のような還付処分により、捜査機関の押収が介在することで本件梵鐘の占有の形態が原状から変更させられることになるというのは所論のとおりではあるが、右処分は捜査の終結に際し押収物を誰に返還するのが相当かという配慮に基いて行なった事実上の措置で、それによって将来の法律上の権利を確定するものではないから、所有者を称する申立人において訴訟その他の方法で権利を主張することは妨げられず、また、本権が明らかになったことを前提に文化庁長官と改めて保存管理のあり方について協議する余地もないわけではないのであって、前記背景事情の下で文化財保護法に定める手続きも踏まないで国宝である本件梵鐘を有償で譲り受けたという申立人の立場からすれば、自己の権利を主張するための右のような煩しさも、文化財保護法が文化財保護のため所有者も含めた国民にその目的を達するために行なう措置に誠実に協力することを求めている(同法四条)趣旨にも照らし、受忍せざるを得ない限度内の負担であろうと思われる。)

以上、本件準抗告の申立はその理由がないから、刑訴法四三二条、四二六条一項により主文のとおり決定する。

別紙

目録

一 国宝

梵鐘 延暦寺西寳幢院鐘

天安一一年八月九日鑄在銘

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例